Pヴァインが活動をスタートさせてから実に40年になろうとしている。およそ人の寿命の半分、いま40才くらいの人と同年齢ということになる。現社員全員、そしてもちろんサポートを続けてくださるファンの方々に感謝したい。
40年前、つまり1975年という年、ずいぶん昔という響きもあるが、この年にPヴァインに初めてエンジンをかけたぼくからみると、ほんのちょっと前のことでしかないようにも思えてしまう。あの年に故人となった名前を自分の趣味にひきつけてあげてみると、ウム・クルスーム、ルイ・ジョーダン、ハウンドドッグ・テイラーなどという、今も常に体の血の流れが波立つような感覚が起きる固有名詞であり、彼らの音楽を単に過去の遺産としてではなく、たった今の時代にメスを入れることさえできるものとして聞いているだけに、よけい年代感覚がぼやけてもいく。ベトナム戦争はこの年に終わりを告げたし、最近ようやく政界を引退した元東京都知事が、時のリベラル現職知事に退けられたこともあった。実質GDPは3%強の成長、将来の日本崩壊の可能性が取りざたされる赤字国債の発行もほぼこの年に始まった。
成長という一見健全、しかししばしば悪魔のささやきともなるワード。国も会社も成長しなければならないだって? 今や社長から新入社員に至るまでこのくびきから逃れられないようにも見える。成長をめざすことが至極まっとうだった時代から、成長と物心ともに満ち足りた生活を持とうとすることが往々にして逆ベクトルを示すという矛盾も起きてゆく。独立レーベルとしてなんとかしてこのジレンマから脱出できないかと考え、試み続けたかつての時代だったが、企業の平均寿命などと言われることもある30年を過ぎたころの急転、難局。資本体制だけでなく、音楽リスニング環境が激変する節目だったからだが、本来のインディペンデント精神を旗印にした集結を見た。社員の間には打ち出すべき音の性格、質に関しての諸ジャンルを貫く暗黙の了解があったと思える。それがPヴァインというものだったのだ。
現代表者の個人名に即して言うならば、谷に流れ込み、そこを満たす水は自ずと谷の地形にしたがった姿形を柔軟に見せることになるが、その水はまた、いついかなる時にもまとまった強靭な力で岩を壊し、谷をうねらせる力を持つものでもある。この水の力、たった一滴から1立米の水の力それぞれが主体的に自由な発現をすることで比類のないPヴァインが屹立する。それがぼくの願った独立レーベルとしてのPヴァインのありようであり、今なおそんな志向を持ちつつ、黒人ワーカーたちと収穫された綿を満載したあのPヴァイン列車が現代に走っているのだとしたらこんなに悦ばしいことはない。
設立33年を前にぼくは現経営陣にバトンタッチさせてもらったわけだが、次はやはり45年、そして78年という音楽回転の節目を見据えること、それが出発点を忘れずに前へ進むことの意志と約束につながってゆくことになるだろう。40周年おめでとう!
P-VINE Founder 日暮泰文